ゲバラとカストロ

先日某ニュース番組でチェ・ゲバラが再び人気が高まっていることを知った。ゲバラ伝説は消えるどころかますます広がり、敵国アメリカでも評価されているという。ゲバラの時代は私がまだ生まれる前のことで、世界史で習うこともなく乏しい知識しかないが、ゲバラに持っている印象は「革命家、理想主義、テロとして暗殺された」ことくらいだった。そもそも学生運動とは無縁の平和な大学時代を送った私には革命という言葉は縁遠いものであり、特に社会主義とか共産主義には嫌悪感さえ持っていた。
でも理想を失った政治家が目立つ現在において理想を求め続けたゲバラの生き方を見つめなおさねばならないのかもしれないと気づき、先日来ゲバラ自身の著作や生涯を書いた書籍を時間の許す限り読んでいる。
ゲバラを知るにつけ、ゲバラをひきつけたカストロの存在が大きくなり始めた。カストロにはゲバラ以上に「革命家・共産主義・独裁者」という黒のイメージを持っていた。しかし本を読めば読むほど自分の中のカストロの姿が激変している。アメリカの流す悪のイメージは本当なのだろうか?無知な私は大きな勘違いをしていたのではないだろうか?
ゲバラカストロについてはもう少し調べて私の中で消化してから書くつもりだが、カストロが日本に来て広島を訪問した後の演説に感動したので、書いておこうと思う。

(Cuba de Cubaより抜粋。)
広島の一般市民に対してなされたジェノサイドについて、われわれが受けた衝撃を述べるいかなる言葉も無く、いかに多くの時間を費やしても足りない。あそこで起こったことはいかなる想像力をもってしても理解することができない。
あの攻撃は全く必要性のないものであったし、モラル的にも決して正当化できない。日本はすでに軍事的に打ち負かされていた。太平洋地域・東南アジアの日本占領地や日本の統治地域までもが既に奪還されていた。・・・・・戦争はそれ以上米国人の生命を失うことなしに、数日で終わらせることができた。最後通牒で事足りたはずであり、最悪の場合、あの兵器を戦場で、もしくは1〜2の日本の厳格な意味での軍事基地に対して使用することで戦争は直ちに終わっていたはずだ。強硬派の圧力と主張がいかに強かったとしても。・・・・・
気高く寛大な日本国民は加害者に対して一言も憎しみの言葉を発しなかった。それどころかそのようなことが二度と起こらないようにと、平和を願う記念碑を建てた。何があそこで本当に起こったかを人類が知るために、幾百千万の人々があの地を訪れるべきだと思う。