波紋。


3月24日に、国民均一医療の理想を持ち続けることは、もう無理なのではないか?感覚をかえねばならない時になっているのではないか?とかなり思い切ったことを書いた。きっと非難の言葉が多いだろうと覚悟した上での確信犯的行為だった。

ご意見をいただいたことに対して日記でお礼を言うとともに、私なりの考えを少しだけ付け加えてみたいと思う。(日常雑務に追われてまとめるのが遅くなってしまった)


そもそも以前から現実的に国民均一医療は行われていない。僻地の医療は相変わらずであるし、病院や医者個人のレベルの差は厳然と存在する。今、そのレベル差を解消するために、クリニカルパスを作ったり、診療ガイドラインを作ったりする試みはされているが・・。

ご批判を受けた点をおおまかにまとめると、
1)お金を持っているか否かで命の価値が違うというのか!
2)医療側の情報公開がされていないのに、
患者が医療機関を選ぶことは一般的に無理!
3)どの症状でどの病院へ行くか、
救急受診が必要かどうかは素人には判断できない!
という3点であった。


2)〜3)について
確かに医療の情報は一般には分かりにくい。最近は一部の病院のホームページで医師の略歴や取り組みを公表しているし、もうすぐ手術件数や手術成績も公表されてくるだろう。しかし表面的なデータが出ても、実際に個々の医者がどれほどの腕をもち、どのような治療戦略を立てるか、どの程度患者さんのことを心から思いやってくれるか、ということについては、医者同士でも一緒に仕事をしてみないと分からないのだ。患者さんが客観的判断できる情報を出すことは不可能だろうと思う。申し訳ないが、患者さんにはネットや書物、口コミで資料を勉強していただかなくてはならないのが実情だ。
そしてご意見をいただけるような方はきっと常識的な患者さんで、ある程度の自己判断がきちんとできる方なのだろうと思う。むしろ少しも医療の実情を知らず(=知ろうともせず)、メディアの医療は悪キャンペーンに染まった人が患者さんで来られたときに、私達は困惑するのだと思う。


最後に1)について。これが一番大きな問題点だ。
もちろん、殆どの医療スタッフは全ての患者さんに対して公平な医療を行っているはずである。理想はそうであるべきだし、今後もその理想に沿って医療をおこないたいと思っている。ただ、昨今の社会情勢が物凄く変化している。良心的な医療を行っていてもいちゃもんをつけられたり、訴えられたりすることが日常的になりつつある。これには一部のメディアの意図的な偏向報道が世論を捻じ曲げているように感じる。
他の先進国と比べてほしい、いかに日本の医療がダントツに少ない医療費と少ない人数で高度な医療を目指しているかを。影にはスタッフの良心と自己犠牲があるのだが、そのことはこれまでは国民は暗黙に分かってくれていたと思うし、それを励みに私達も頑張ってこれたのだと思う。結局根底はお金の問題ではなく、使命感と仕事への満足感なのだ。いくら頑張っても理不尽な訴訟を受けたり、あらぬ誤解を持ち聞く耳もたずの患者を前にすると、崇高な精神もガタガタと崩れそうになる。

社会の変化の一方で、逼迫する医療費高騰が今後老人口が増えて、加速度的に悪化することは容易に予想されるこのままでは絶対にに、絶対に医療は破綻するに違いないと危惧している医者は周りにも多い。(案外看護師さんやコメディカルの方たちは大らかなようで、医療スタッフの間でも危機感の温度差は高いようだ。)厚労省アメリカ型システムを描いているのなら、金銭的にもアメリカ的な医療を行うしか破綻回避の道はないのではないかと思うのだ。でもこれは確かに金額により医療の差をつけることにも繋がってしまう・・・。それでも医療の破綻を回避するためには、心を鬼にして提言していくことも必要ではないだろうか?


もし、それ以外に医療破綻を回避できる方法があるのなら、是非教えてもらいたい。


■2005/05/01 (日) 蛇足かもしれないが。

自由診療の議論の先に、「高齢者医療のありかた」を変えることの方がもっと大切だと思う。個人の意思に関わらない無意味な延命治療、これは病院には収入源になるし、年金をもらっている人の家族にとっても美味しい話なので、常識的な範囲を逸脱した高度な高額な医療を行う羽目になることが少なくはない。(今の勤務先は良心的なので医師の判断により延命は行わなくてもよいが、某病院ではどんどん救急の薬剤を使うように暗に指示された辛い記憶がある)
何をしてもしなくても近い将来にお迎えがくる患者さんに対しては、何らかの制限をつけるべきだと思う。でもいろいろなことを決める人たちは高齢であるし(?)、経営者の立場からみると減収につながることなので、残念だし悔しいが、高齢者医療が変わるのは難しいのではないだろうか?
94歳に膨大な医療費を使って大手術を行い、成功したことを誇らしげに語る医療関係者が存在することを思えば、暗澹たる気持ちになる。

■2005/05/01 (日) 蛇足その2。

良心的な弁護士が殆どだと思いたいが、医療訴訟をおこすことで金儲けをたくらむ一部の輩が存在するという噂をきくことがある。患者さんや家族を焚きつけて騒動を起こすのだという。彼らは勝っても負けても商売になるし、もし勝てたら話題にもなる。
人の弱みに付け込む心根は本当に許せない。

今日のM3COM(医者の掲示板)でホットな話題。

「誤診で死期早めた」 渡米男児の両親、国を提訴

 心臓移植のため渡米した神戸市の毛利彰吾(もうり・しょうご)ちゃん=当時(2)=が脳に重度の障害が見つかり、手術を受けられないまま死亡したのは、国立循環器病センター(大阪府吹田市)が事前に十分な検査をしなかったためとして、両親が21日、国に計約5900万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした。

 訴状などによると、彰吾ちゃんは生後間もなく拡張型心筋症と判明し、2003年1月、国立循環器病センターに入院。移植は可能と診断され、同年6月に渡米したが、受け入れ先の病院は脳梗塞(こうそく)など重度の障害があるとして手術は不可能と判断した。彰吾ちゃんは渡米の負担も重なって病状が悪化、同病院で死亡した。

 両親は「センターが脳のCT検査を怠り手術可能と誤診したため、早すぎる死を余儀なくされた」と主張。記者会見した父親の真介(しんすけ)さん(40)は「移植審査のガイドラインをきちんと確立してほしい」と訴えた。

 日本では15歳未満の臓器提供が認められておらず、支援団体が渡米のため約1億2000万円の募金を集めた。

↑の訴訟については掲示板で大変な騒動になっているが、その中で在京勤務医さんが次のように書いている。

誰が家族の不安定な意思を焚き付けて裁判の方向に固定化するのかです。
お金が絡めば絡むほど、家族の苦しみの影にほくそえむ者の影がちらつきます。今の法制度では善意の第三者を装う黒幕は決して罰せられません。

医師も苦しみ、裁判に勝利した家族の心も決して癒されません。
喜ぶのはよからぬ者ばかりなり。社会の矛盾を感じます。

このような争いに巻き込まれて、患者の家族も、良心に従って医療行為を行ったであろう病院も被害者のような気がする。