問題がどんどん露出。

■2006/03/27 (月)
終末期医療の患者の人工呼吸器を故意にはずした疑いで富山県の市民病院の捜査が開始された。この事件は福島事件とはいくつかの面で全く異なっている。
1)対象が終末期医療だった。2)人工呼吸器離脱による死が確実に予想された。3)主治医の主義院長や師長とは異なっていたこと。
福島事件は全国的に応援の輪が広がったが、この事件はそうならないだろう。人工呼吸器をつける時には、はずすことを常に考える。途中ではずすのなら、はじめからつけなければいいと多くの医者は考えるからだ。いろいろな事情があったのだろうが、医者の共感を得られないのはこの点に尽きる。

ただこの事件はかねてから終末期医療に係る皆が思っていた問題に切り込むきっかけになるかもしれない。正直言って、終末期医療は「むなしい治療」とも思えるし、酷な言い方だが「医療費の無駄遣い」という」一面もある。医療費削減をいうなら、この部分こそ、真っ先に手をつけるところだと強く思う。そして、今の点数制度がこの問題をふれにくくしているのだから、一緒に保険点数も考えるべきだと思う。
延命(この言葉もファジーだが)と通常の治療をどこで線引きをするかは、これまでは医師の裁量に任されており、医師は苦しい決断をせねばならなかったり、治療に疑問を持ちながら診療にあたっていたのだが、世情はそれを許さなくなったようだ。終末期の臨床は特殊で、専門スタッフや当事者でなければわからない面が多いが、例のごとく事実が曖昧な段階で医者叩きが始まった。終末期医療もどうぞ活発に議論してください、お気に召すように従うさ、と投げやりな気持ちになっている。

この病院は院長が交代したことや、それに伴い各科で決まった病棟を使用していたのが、空床を他の科で使うことにし、外科の患者が内科の病棟で治療されていたことが、世に出たきっかけになったようだ。この段階で病院がマスコミに発表したのは、混乱を増すばかりで勇み足だったような気もする。(あるいは院長が腹をくくる気構えがなく、自分は関係ないと逃げたような気もする。)隠匿をすすめているのではない。発表するなら患者背景や各家族の意向をはっきりさせ、状況判断の材料を提供して欲しかったということだ。終末期医療を拒否する家族であっても、マスコミがかかわると本音をいえないだろうとは簡単に予測できる。患者家族からの訴えがなかったことは何かを暗示していないだろうか。

↑の事件発表までの認識が間違っていました。
後ほど訂正いたしますが、なにやら妙な方向にいくのかも・・・