命の終焉。

■2006/03/31 (金)

悪循環とはまさに今の民主党。ドラマの筋書きでもありえないほど、全てが後手後手に回り、挙句の果てにきっと隠したかっただろうと思われる、偽情報提供者への金銭授受(未遂らしいが)まで明るみにでてしまった。事態がこうなることを何故よめなかったのか不思議でたまらない。同じように空気が読めなかったのは某院長。

射水の事件は尊厳死安楽死の問題提起になるかと期待したが、どうやら病院内の複雑な権力闘争があるようだ。そう考えないと院長が事を大きくした理由がみつからない。院長の言うことは正論だが、実際の臨床では杓子定規にはかれないことがとても多い。患者さんの家族の考えが変わるのは良くあることで、その都度悩むのは現場の主治医だ。デリケートな医療の現場を医療知識も臨床の現場も知らない警察捜査に委ねてしまったのはものすごく腹立たしい。医療知識のある第三者機関に任せるなど他のやり方があっただろうに・・・。

患者と医師の疎通が図れない場合は、私は今は入院の際に口頭で挿管治療の希望を確認し、結果をカルテに記載している。書面で同意を得るべきだという意見をよく見聞きしたので、当直の時に文章を考えてみた。が、これがとんでもなく難しい。さまざまな病態や社会的背景に応じて説明を変えているが、文章で一本化すると、ものすごく無味乾燥で無骨で難解なものになってしまった。人の終焉を診て行く上で、やはり私は文章化して治療にあたりたくないと思う。人間的な言葉は文章に収められないと思うから。

これから世論がどう進むかわからないが、とりあえず、私は私なりに患者・家族とコミュニケーションをとりながら信頼を高めていき、私なりの命を尊重した対処をしていきたいと思う。