憤慨。

■2007/01/30 (火)
福島事件の公判があった。昨年2月18日にK先生は突然逮捕されたと報じられた。あれから約1年。福島事件の詳細がわかるにつれ、被告とされてしまった先生への同情が深くなる。

公判については有名な先生のブログにライブの迫力で掲載されている。(http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_ace1.html)そのボリュームと内容に圧倒されているが、思うことが多すぎて纏めきれていない。ちょっと今は検察側にカッカとしているので(憤慨!)、少し頭を冷やして考えてから書いてみたい。自分が医者であることを離れて、医療側で過失がどうであったかも含め、反省すべきところも検証しておかなくてはならないと、冷静な片割れが申すので。
(卒後○○年目の産婦人科医先生、メールありがとうございます。励まされました!)

医療以外でも責任を他人に押し付ける傾向の人たちが増えているという、日本の倫理観の崩壊が進んでいる。地球環境も悪い方向に変動している。進歩と自由を手に入れすぎたために、これからそのつけを払う羽目になってしまったのだろうか。

福島事件では被告の立場の先生のインタビューから、逮捕が突然あったのではなく、少し前から警察が介入してきていたこと、しかし逮捕されてしまったのを知ったのは、取調べで警察に出向したときだと解った。あの状態ではまさか逮捕されるとは想像もできなかったのは当然だと同じ勤務医として思う。冗談のような、ドッキリテレビのような状態だったわけだ。主任教授が1人で行かせてしまって・・・と苦悩されていた状況がようやく理解できた。

今、周防監督の痴漢冤罪事件の映画が公開されている。私はまだ観ていないが、監督が日本で検察から起訴された場合、有罪率が99%であると聞いた。これは極めて異常な高率で、通常は60〜70%なのだという。(以前にスクープという番組でも、この異常さを観たことを思い出した。自分に直接関係のかいことが頭に残らないのは我ながら情けない。)だから一旦起訴されると殆ど有罪になるのだ。警察/検察も人の子である。間違いがないはずがない。正義を掲げて職責を果たす人たちに対して、大変失礼だが、このような有罪率を誇る中で裁判に負ければメンツ丸つぶれ、出世に影響すると考える人がいてもおかしくはない気がする。(そうであってほしくないが。)

頭を冷やすと言いながら、警察/検察批判に傾きそうなので、今日はここまで。