白い巨塔、雑感。

■2004/02/06 (金)

白い巨塔はストレスのたまるドラマになりつつある。

医学的にみると財前教授の言っていることは至極まともであると思う。
教授に個別的な診察を求めるのはお門違いと思うけど、
家族にとってはその違い、
教授という役職の存在意義がわからないのかもしれない。

手術後に回診に行かなかった、ことが争点になるのだろうか。
ドラマでの裁判の訴状内容が納得できないなあ。
財前医師へ個人的な恨みだけのような感じ。
術前に肺への転移の可能性を検討したかどうかも争点にするみたいだけど、
あの症例で手術をしなかったらそれこそ問題になりそうだけど・・。
前にも書いたけど、そうであれば、
そもそもの責任は外科に送った里見先生にあると思う。

里見先生の正義感は人間として立派かもしれないが、
このような人が家族にいたら、
このような人が同僚にいたら、やりきれない。
もうちょっと大人になってよ、里見先生!
とテレビの前でつっこんでいる私であった。
もし自分が患者だったら、性格が悪くても腕のよい
医師にかかりたいと思うけどね。
実際いるんです、根性悪いけど腕はぴか一という医者が・・。
医師精神の原点といわれるヒポクラテスの誓いを
この機会にもう一度読み直してみよう。(↑に転載予定)

納得できない矛盾点に閉口しているが、かつて原作を読んだときには
里見先生の生き方に感動したものだ。でも細かい内容は完璧に忘れている。
原作はどうであったか、読み直さなくてはいけないのに、
図書館で予約した本が続々到着して余裕がない。

それにしてもこのドラマの役者はそうそうたるメンバーである。
弁護士役の上川隆也及川光博は白眉!
特にミッチーの演技はMVPものと思うほどだ。
女性陣でも若村真由美さん、いい味出している。
(唯一黒木瞳さんの鼻にかかった声〜〜なんとかしてほしいけど。)

マスコミ報道のいいかげんさにあきれたことを一つ。
例の舞鶴の市民病院の事件で某新聞に
白い巨塔騒動に市民を巻き込まないでほしい。と
書かれていたが、何を白い巨塔といいたいのだろう?
大学病院という巨大な組織を白い巨塔というのだと思うが、
たかだか240床の病院を白い巨塔といわれてはお門違いもはなはだしい。
まして舞鶴の内科は白い巨塔の支配(=大学医局からの医師派遣)を
要請せず、独自の全国公募だったというではないか。

追記【ヒポクラテスの誓い】

ヒポクラテスの誓い

医神アポロンアスクレピオス、ヒギエイア、
パナケイアおよびすべての男神と女神に誓う、
私の能力と判断にしたがってこの誓いと約束を守ることを。
この術を私に教えた人をわが親のごとく敬い、わが財を分かって、
その必要あるとき助ける。
その子孫を私自身の兄弟のごとくみて、彼らが学ぶことを欲すれば
報酬なしにこの術を教える。そして書きものや講義
その他あらゆる方法で私の持つ医術の知識をわが息子、わが師の息子、
また医の規則にもとずき約束と誓いで結ばれている弟子どもに分かち与え、
それ以外の誰にも与えない。
○私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、
悪くて有害と知る方法を決してとらない。
○頼まれても死に導くような薬を与えない。それを覚らせることもしない。
同様に婦人を流産に導く道具を与えない。
○純粋と神聖をもってわが生涯を貫き、わが術を行う。
○結石を切りだすことは神かけてしない。それを業とするものに委せる。
○いかなる患家を訪れるときもそれはただ病者を利益するためであり、
あらゆる勝手な戯れや堕落の行いを避ける。
女と男、自由人と奴隷のちがいを考慮しない。
○医に関すると否とにかかわらず他人の生活について秘密を守る。
○この誓いを守りつづける限り、私はいつも医術の実施を
楽しみつつ生きてすべての人から尊敬されるであろう。
もしこの誓いを破るならばその反対の運命をたまわりたい。

現代に合わぬ点もあるがこの精神を忘れないように戒めよう。

ところでCMでナースの戴帽式をみかける。
最近は機能性を重んじてナースキャップが廃止されてきているので
キャップをつけたナースが新鮮、またつけた方が素敵だ。
初めてキャップをつけてキャンドルライトに照らされて
これから羽ばたくんだと宣誓するナース達の姿がとても印象的な
良質のCMだと思う。

・・ふと思ったのだがナースには戴帽式があるが
医者にはそのような場はあっただろうか?

卒業式は試験前でもあり極めて簡略に終り、
また医局に入ってからは怒涛のような勤務に雪崩れ込み
医師国家試験の合格発表もあいまいに過ぎていった。
区切り無く医師生活が始まったのだった。
アメリカのドラマでは
卒業式に一斉に大空に帽子を投げ上げるのが印象的だが、
やはり原点となる儀式があったらよかったな、と今にして残念に思う。