人はどこまで残忍な行為ができるのだろうか。

コンクリート詰女子高生殺人事件という極めて陰惨な事件があったことを
思い出す報道がされた。その事件の加害者が障害事件で逮捕されたという。
ネットで知ったのだが、私の目にする一般紙には報道されていない。

思い出すのもオゾマシイ事件で、その詳細を日記に書こうとしたら
不適切語句ではねられた。それほど凄い想像を絶する残忍さだった。
人はどこまで残忍になれるのだろう?
人に害を与える人には更正が期待できるのだろうか?
この事件を見る限り、彼らに極刑を与えるべきであったと
多数の人は思うのではないだろうか。

この事件のことを多くの人に思い出してもらいたい。
事件をうまくまとめられた勝谷さんの日記(勝手ながら当方で改行)
を紹介します。http://www.diary.ne.jp/user/31174/

昭和63年、綾瀬で鬼畜餓鬼4匹が
女子高生を言語を絶する暴虐の末に殺しコンクリート詰めにした。
当時『週刊文春』の書き手だった私はこの事件を担当したが
取材を終えて帰ってくる記者たちが
拳を震わせて目を赤くしていたことをよく覚えている。
文藝春秋二階の編集部横の会議室でそうした記者たちの報告を前にして
花田紀凱編集長は言い切った。
「実名を出そう。野獣に人権はない」。
この言葉は後に人権屋どもによって散々あげつらわれることになるのだが
その場にいた誰もが頷き今なお私は一点の曇りもなく
花田さんの判断を支持するものである。
まだワープロも使っていなかった私は
13字ダテの『週刊文春』の緑色の原稿用紙に
一人づつ刻み込むようにして実名を書いたことを記憶している。
後に至るまで少年法がらみの事件が起きると必ず引き合いに出される
『綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件』での実名報道
私が断行した瞬間であった。もちろん私たちが実名報道に踏み切ったのは
ただ感情的に被害者の無念を思いやったがためだけではない。
記者たちが口々に言う「あいつらは絶対またやりますよ」という確信をもとに
少年であるが故に
私たちの社会に鬼畜がほどなく舞い戻ってくることへの
危惧と防衛措置を重く見たのだ。
罰則規定はないとはいえ私が法として存在するものを
踏みにじったことは事実であるしそのことに対する批判は甘んじて受ける。
しかし今回この事件が起きたことを見て
自分の判断が正しかったことを確認するのである。