訴訟社会? 〜苦い経験

少し前のことだが、
肺癌治療において画期的な新薬であるイレッサについて
副作用が起きた患者家族の団体が製薬会社を訴えたそうだ。
http://www.m3.com/news/article.jsp?sourceType=GENERAL&categoryId=-1&id=16594&lang=ja&Mg=ac5298392725ff57311765f0d0ca24b9&Eml=881b0f950d463f61cad2ec694a3517c4&F=h&portalId=mailmag
なんだかな・・・と思ってしまう。

最近は医療に限らず、なんでも他人に責任をおしつける人が
増えているような風潮だ。
エスカレーターで子供が転落した事件、
遊戯装置で子供が死傷した事件、
そして県営の水泳施設で子供が溺死した事件。
行政がわるい、管理が悪いと声高に叫ぶ
一方で自己の反省や責任を論じる気配が感じられない。

残念ながら副作用のない薬などないのだということ、
治療しても治らない病気があること、
医者も人間、あらゆる副作用の前兆をキャッチできる
スーパーマンではないこと。
を前提の上で受診してほしいものである。

私自身がある医療事故を経験したからよけいに
こう考えるようになったのかもしれない。

【苦い経験】
ERを見ていると医者が気軽に
「任せてください、絶対直しますよ」と告げることが多々あるが
今の風潮では良くなる自信がある程度あったとしても
とてもそこまでは気軽に言えない。
病状説明をするときにはなるべく重いムンテラをしているし、
特に高齢の患者であれば突発的なアクシデントはないとはいえないと
いざという時のための保身を考えた話し方している。
こんな自分の姿が嫌いだと感じつつ・・・。
こうなってしまったのも、かつてある医療事故の当事者になってからだ。
それまでの自分は強気のムンテラをし、
自信に満ちた(=傲慢だった)診療をしていたものだ。
その事故を経験したあとから私の職業観が大きく変わってしまった。
経験する前はなんにでもトライすることがいい医者への道だと思っていた。
しかし、これは大きな思い上がりであったと今にして感じる。
そのことがあってから
「どんな慣れた治療も安心して行ってはいけない」
「結果が悪ければどんな正当性があっても患者家族は納得しない」
ことがよーくわかった。
その結果、
「自分がどこまで出来るかの見極めを客観的におこない、
また、たとえある程度の経験があっても
万が一の場合(極めて稀な合併症が起きたとき)に
どうすればよいかをあらかじめ考えておかねばならない。」
と肝に銘じて日々を送っている。

・・・・といっても忙しい臨床の場ではその余裕がなく
緊急時には危険なことにもトライするはめになることもあるが、
慎重に慎重を重ねすぎることはないというのが私のポリシーになった。

その事故はトラブルにはなったが幸い訴訟までには発展していない。
でもその苦い経験は365日いつも私の心の中にくすぶり続けている。
あれをミスと言えるのだろうか?
私の行った治療の判断は正しかったのだろうか?
もちろん慎重さが足りなかったのは否定しないが
事故とミスの境界がわからない。
医療関係者は不幸な事件だったとして私を悪く言わないが
家族からは罵詈雑言をあびせられた。
いつか日記でもそのことを書ける日がくると思うが
まだ私の中では消化しきれていない・・・・。