ゆずり葉の詩

クレジットカード会社の雑誌を読んでいたら
ずきんとする言葉があった。
柴門ふみさんのエッセイだ。

娘さんの同級生と久しぶりに電車で遭遇したら、
すっかり化粧が濃くなって大人になっていたことで、
「ゆずり葉」の詩(ゆずり葉の葉は、新しい葉っぱのために
場所を譲って自分は散っていく)を思い出したそうだ。

↓の一文は至言である。
ゆずりは」は、若い芽が育ったのを確かめてからぱらりと潔く落ちる。
いい年をしていつまでも自分を認めてもらいたいと我ばかり張るのではなく
若い芽を育て認めるのが仕事なのだ。

早速ネットでゆずり葉の詩を探してみた。
(ネット検索って本当に便利!)
すぐに見つかったが、そうそうこの詩は国語の本に載っていた!
音読していた子供の頃の自分を思いだした。

ゆずり葉の詩  河合 酔茗

子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入り代わってふるい葉が落ちてしまうのです。

こんな厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずってー。

子供たちよ
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです。
太陽のめぐるかぎり
ゆずられるものは絶えません。

かがやける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受け取るのです。

幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれどー。

世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造っています。

今、お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい、花のように笑っている間に
気が付いてきます。

そしたら子供たちよ。
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見るときが来るでしょう