常識とずれがあるような判決。それとも私が非情?

知らず知らずのうちに、「ネットで患者を中傷」と騒がれた事件に影響されているようだ。最近の日記では、いい子ちゃんぶったことを選んで書いているような気がする。今日は医療ネタ以外で本音を愚痴ってみる。
また行変えをしても、パソコン環境により変わってしまうので、さるさる日記でトップを独走中の勝谷氏のように変えずに書いてみようと思う。(勝谷さん、もう少し切れ目を入れてほしいなあ。とっても読みにくい。雑誌では正攻法の文章を書かれるのにな)

もう消えてしまったが、昨日ヤフーニュースである裁判判決が報じられていた。うろ覚えだが、2年くらいまえから、某大学教授を故意に轢き死に至らしめたという罪で服役中の40代の男性が、タオルを口に詰めて拘置所内で自殺した。この自殺に対して遺族の母親が、自殺は抗うつ薬を止められたためで、責任は拘置所と管理医師にあるとして1億云千万円の賠償を請求した。判決は原告の勝訴で、原告に対して3000万円の支払いを命じるものだった。

服役した事件の背景や人間関係を全く知らないのだが、失礼を承知で簡単に言うと「殺人を犯した人が拘置所で自殺した、この責任は管理者にある」という判決だと私は理解した。殺人者の自殺を(うつという病気があったにせよ)、第三者に責任を負わせるってどうなんだろう??私の中の「常識」ではどのような理由があったにせよ、人を殺めた時点で償い切れない重い重い罪を背負ってしまったのだと思う。自殺を選んだ当事者の気持ちはお気の毒だが、遺族が訴えるという感覚が納得できない。もし、自分がその立場だったら、恥ずかしくて世間から隠れてひっそりと過ごすように思う。

こう思う私は非情な奴なのだろうか。私の方が世間の常識からずれているのだろうか?このような裁判を担当する弁護士、判決をする裁判官の存在を危惧する自分はおかしいのだろうか。

常々思うのだが、人の命は地球より重いといわれている割に、日本の刑法は軽すぎる。一人殺しただけでは数年〜十数年の実刑になのだ。そもそも殺人に時効があることがおかしい!殺人の罪は一生消えることはないのだから。