実生活での平等なんて、ありえない。

共働きはどちらかが犠牲にならねば家庭は崩壊することは間違いないと思う。医療従事者の夫婦で共働きをしている人は結構いるが(看護師と放射線技師・薬剤師など〜皆どうやって両立しているんだろう?)医者夫婦で働いている人は妻の方が仕事を減らすか、楽な病院に勤務しているのが一般的だ。
同じように勉強し研修を重ねてきたのに、結婚することによって女性は大きなハンディを負う。恋愛気分が高い時にはそれすら幸せに思えたが、高揚期が過ぎると自分のハンディが悔しくうとましくなってきている。男女平等参画といっても、実生活では平等は遠い。
夫は一切家事をしない。子育にも参加しない。夫の周囲の男性医師はたいていがそんなものだと威張っているが、中には子供のお弁当をつくる男性医師や授業参観に出てくれる医師もいるんだけどな・・・。
仕事と家庭のバランスを取るために、一歩引いて仕事をしている自分の姿が惨めでたまらなくなる時がある。昨日はこんな気持ちが爆発、夫と喧嘩した。発端は出かける予定時間に夫が大幅に遅刻したことだったが、次第に夫がいつも仕事、仕事で夜中・夜明け・休日もほとんどの時間を費やすことについても怒りがこみ上げてしまった。時間を気にせず、したいだけ仕事をしている夫に嫉妬しているのかもしれない。私だって家庭を気にせず働いてみたい、かつてのように。でも現実は私が家事をしなければ家は目茶目茶になる。(当直翌日に帰宅するとすごい有様なのだ。)片や病院は私がいなければいないで成り立っていく。自分がどちらでなくてはならない存在かを思うと、やはり今のパターンを維持するしかないのだろう。

遅く帰った夫にねぎらいの言葉もかけず、逆に「自分の生活を犠牲にして働いても感謝もされない、給料が増えるわけでもないのに馬鹿だよ」と言ってしまったが、こう思う私はDOQL賛成派になってしまっているようだ。純粋に患者を思って医療に臨むべきであり、見返りを求めて仕事しているわけではないのにね。なんだか自分が堕落していくのを日記を書くことで確認しているような気がする。

■2005/02/08 (火) 気づかなかった心理構造。