肉の質。告知問題。

吉野家の一日限定牛丼が話題になっている。数回しか食べたことがなかったが、確かに値段の割には美味しかった。何より店員がテキパキとしており、ほとんど待つことなくでてくるのが嬉しかった。社員教育の賜物だろう。

アメリカ産禁止からはオーストラリア産の牛肉が店頭に並んでいる。昨日は久しぶりに家で焼肉をしたが、買ったてきたのは2種類の肉。250グラム800円の豪州産のばら肉と200グラム1500円の国産黒毛牛のカルビだ。まず豪州産の肉から始めたが思いのほか柔らかく美味しかった。豪州がこれだけ美味しいのなら、国産はどんなに美味しいかと期待したが、国産の肉は・・・甘かったが少し硬い。味の総合印象を考えると豪州の勝ち。こんなに値段の差があったのに、国産肉にはがっかりだったが、あの値段(国産の3分の1)で美味しい豪州肉への認識が変わった。これから食卓にはますます豪州肉が並ぶことになりそうだ。

突然ですが・・・
4月から家族に病状説明をするときに患者の許可が必要になるかもしれないという噂だ。これまで大多数の癌の患者には、まず家族に話をして患者に告知をしてよいか許可を得てから患者へのムンテラを行っていたが、それが様変わりするかもしれない。本人に真実を告げるのは本来のあるべき姿だし、告知をスムーズにできた方が治療する側もやりやすいのは間違いない。しかし、告知への認識が遅れている日本で全てに告知ありきで臨むのは馴染むだろうか?(地方では家族から絶対に病名を患者に言わないでほしいという要望がまだ多いのが実態だ)

法律で告知義務ができたからといえれば気が楽だが、そのために治療意欲や生きる望みを無くしてしまう患者が増える可能性がある。まかり間違って自ら命を絶つようなことがあれば、これも医療の責任にされてしまうのではないかと恐れている。

体制が変わること、いままでのやり方が変わっていくことへの心理的な抵抗があるのは、私自身が頭が固くなり変貌についていけなくなってきているのかもしれない。今時の若いものは・・・とよく文句を言っているし、自分ではいつまでも若いつもりでいるのに、実態と個人的な認識がずれはじめているのかもしれない。時代に後れないように、視野を狭めないようにあがいていかなくては。