最後の確認とお見送り。

危ない状態の患者を抱えていると、どこへ行くのも心苦しい。フィットネスでも、デパートでも、夜ベッドの中でも病院からの連絡待ちの携帯電話は離せない。

今は患者のうちお二人が危篤状態。どちらも長い闘病暦がありご高齢なので、家族は延命治療は希望していない。静かに見守るだけなのだが、どれほど見守ればよいのか。今わの際の生命力は、結構個人差が多い。(血圧低下や尿量の極端な減少があればあと何時間と予測できるが)

万が一のことがあったら、時間を問わず、主治医は患者の元に馳せ参じ、最後の確認をし、搬送されるまでお見送りしなくてはならない。

日本の病院はほとんどがこのシステムだと思うが、この最後の時間の拘束は結構きついものだ。何も生産性のない、ただ待つだけの時間といえるかもしれない。でもそれまでの治療に関わってきた者として、自分で責任をもって最後まで見届けなくてはならないし、それが患者さんへのはなむけになると信じている。
(自己満足かもしれないが)
(でも、立て続けにあると本当に疲れ果ててしまう。)

医師のQOL(QOML)という意識が広がってきているようなので、そのうち当直医がすべてを任される時代になっていけば、主治医の負担は軽くなるだろう。

おぼろげに皆(医者)が感じていた、医の倫理が少しづつ変化しているのが、いいことなのかどうか、私にはわからない。


韓国との関係について、お互いに誤解があるのだろうが、民族の違い、国民性の違いが大きいようだ。日本人は罪を憎んで人を憎まずというか、時がたてば過去のことは水に流そうとするが、韓国では未来永劫、恨みは忘れること勿れと考えるそうだ。

顔つきがとても似ているので、価値観も似ていると考えるのが大間違いで、本質は欧米の外国と同じくらいかけ離れているのだ。

そう思えば、いちゃもんのような韓国の言い分も少しだけ理解できる。

日本では過去の日本を批判したり、反省したりする書籍も多いが、韓国では自国を少しでも批判すれば袋叩きになることは聞いている。以前に戦時中の日本の行為が悪いことばかりではなかったと擁護した韓国の大学教授が左遷されていたし、この本の著者も韓国ではものすごいバッシングを受けているらしい。

こんなに客観的に日韓の違いを論じている韓国人もいるのに・・・。