戦争の評価。

なかなか日記を書けないでいた。

先月、東京出張の際に念願の靖国神社に参拝してきた。噂の就遊館も見学してきたが、この感想をどうまとめたらよいか、自分の中で混乱が続いている。

戦争は忌むべきものであるのは間違いないが、何故戦争を起こすにいたったかを考えると、複雑だ。戦争に借り出された一般国民の「お国のために」という覚悟と自己犠牲を思うと本当に辛い。当時の人たちの遺書は、今の同年代の人でこれだけ見事な文章を書ける人がいるだろうか?と思うくらい心に突き刺さった。日本の未来を背負うはずであった、帝国大学京都大学など層々たる大学生が、特攻隊という今で言う自爆テロの犠牲になったことは忘れてはならないことだ。

就遊館は古代からの日本の戦いの歴史館であるが、根底にあるのは大東亜戦争はアジア防衛、自国防衛のためだと正当化している印象を受けた。戦争の評価は立場により異なるが、当時の孤立した日本の指導者の決断を正当化するのは、異議がある。

自爆テロが非難されているが、特攻隊・回天(人間魚雷、海上の特攻隊のようなもの)という、人を武器にする戦いを国家戦略として実行してしまった、当時の指導者はどんな理由があろうとも、決して許されるものではないと思う。

もう一つこの展示が提起していると感じたのは、戦争責任をどうとらえるかである。東京裁判は確かに戦勝国が敗戦国を裁いた裁判であり、後世この裁判が誤りであったという見解を認める他国の研究者もいる。戦争にいたるまでの経緯とその後の展開についてあまりに知識がかけているので、今の私には東京裁判靖国のことを自分の中で生理できなかった。(日本は悪いことをしたという教育を受けてきた。特に中学時代はバリバリの日教組の先生だったので。しかし、自国のことをあまり卑下するのは、先人に対して侮辱であるという気持ちもある。もちろん、日本は悪い国ではないと思いたい気持ちもあって、自分の中での評価が分裂している。)

戦争のことについて歴史教育では上っ面しか学ばなかった。この穴を埋めるためにいくつかの書籍を読んでいるが、なかなか消化できない。

戦争物を読むのは昔から苦手だった。小学生のときにひめゆりの手記を読んで、その残酷さ・惨たらしさがトラウマになってしまったからだ。知らなければいけないことだが、知りたくない、知らずにすませたいと流したまま月日がたった。戦後60年の節目の年に今一度、心の傷に立ち向かわなくてはならない。


終戦のローレライ(1) (講談社文庫)

終戦のローレライ(1) (講談社文庫)

史実と平行して、終戦のローレライを読み始めているが、ページが進まない。解説を先に読んだが、日頃私が思っていて表現できなかったこと、こういうことを言いたかったという文があった。あまりに名文なので引用する。

終戦のローレライ〜解説(藤田香織
できることならそんなことは知らずに生きていきたい、と思うことがあります。「南アフリカの子供たちのHIV感染と食糧事情」とか「地球温暖化における地球の未来」や「米国同時多発テロの実態と国際テロ組織の現状」、「児童虐待およびDVの増加率」なんていうことを、私はあまり知りたくありません。
知ったところで自分一人の力ではどうすることもできず、どうすればいいのかもわからず、そこで起きている事実に圧倒されて、ただ憂鬱な気分になるぐらいなら、知らないほうがいいと思ってしまうのです。南アフリカの子供たちがどんなに飢えていようと、私は今の生活を捨ててその子たちを救いにいくことはできないし、虐待されている子供を引き取って育てることも現実には考えられない。どうせ何もできないのなら、目を瞑って、耳を塞いで「知らなかった!」と言っていたい。
それは何も現在進行形でおきている社会問題に限ったことではなく、歴史的な事実についてもまた同じです。歴史年表に載っているデータ以上のことを、わざわざ掘り下げてまで知りたくない。特にまだ完全に風化していない、第二次世界大戦から太平洋戦争と呼ばれた「戦争」に対しては、なるべく意識して目を逸らしてきました。教科書で習った「1940年 三国同盟成立」と「1945年8月15日 ポツダム宣言受諾。無条件降伏」の間に実はどんなことがあったのか。深く知ったところで、今更何がどうなるわけじゃないし、知らなくったって特別困ることもないわけで。だったら知らずにのほほんと生きていたい。
もっと正直に告白すると、ただ単に嫌なのです。
深く知ってしまえばきっと、考えずにいられなくなる。「なぜ」そんなことが起きてしまったのか。どんな思惑があり、なにを目的としてその歴史が刻まれたのか。その時、その時代を生きていた人たちは、何を思い、どんな気持ちでそれを受け止めてきたのか・・。知ってしまえば、きっと心が揺れる。気持ちが乱されてしまう。そして自分で自分を責めるでしょう。
なぜ考えないのか。なぜ動かないのか。なぜわかろうとしないのかと。
だから私は目を逸らし続けていたのです。それは私だけでしょうか。
(以下省略、作品の解説になる。)



藤田香織さんの書かれたことはまさしく私にもあてはまる。
考え始めてしまった私は得た知識をどうまとめればよいのか、混乱している。考え続けることは非常に苦痛だ・・・・。投げ出したくなる・・。