熱意に水さす冷静な意見

■2006/03/08 (水)
福島の産婦人科医を救う会が立ち上がった。夫にも参加させようとしたのだが、普段から「ネットでどんなに盛り上がっても世間には通用しないよ」とさめている夫だから予想できたことだが、会には引いた見方をしていた。少しでも何かできれば・・・といち早く登録した私の熱意に冷水を浴びせられた気分だ。

夫が一番気にしていたのは、会を代表する人として、ある程度の地位のある、たとえばどこぞの教授などがいないのではないかということ。やはり物を言うときに頼りになるのは権威なり地位なりで、下々の医者が吼ええていても効果が少ないのではないか、だって。確かにごもっとも。

(でもだからといって、高みの見物で済ませられることではないと思う。誰か偉い方がなんとかしてくれるのを待っている余裕はないと感じる。下々の力も結集すればお偉いサンたちを動かすことができると信じたい。)

もちろん実体験はないが、大学紛争の吹き荒れた時代に存在していたら、きっと自分は紛争の中に飛び込んでいっただろう、そして夫のような考えをする人は後ろから冷ややかに紛争を見ていたことだろうと思う。

いつものことだが、喜怒哀楽が激しく激情家の私は、冷静な(悪く言えばのろまな?)夫とすれ違いを感じてしまう。ともに激してくれたらと願いたいが、二人して突っ走ってしまったら、歯止めが効かないだろう。私たちは「割れ鍋に綴じ蓋」の関係なのだろうと渋々納得。