■2006/03/18 (土) 突然の発症。

人生一寸先は闇を実感している。
実は4日前の夜に義理母が脳出血を発症した。痩せてて血圧も高くなく、家事や農作業にいそしんでいた健康な人だったのに、意識障害となり救急車で搬送されたそうだ。義理親とは離れて暮らしているので、知らせが来たのは発症後3時間の真夜中だった。義理父の電話では「百円玉程度の出血、命に別状なし、ただし右に麻痺あり、応答がやや不全」ということだった。夫は明日行くと父に話した。が、それでよいのか、本当に?第一百円玉にしては症状がひどすぎる。医者ではなく、まして一人で動転している父の電話をそのまま信じられない。やはり車を飛ばしてみにいくべきだと私は反論。今から行くと完徹になるのを夫はまだ恐れていたが、自分の親でしょ!と説得して二人で出かけた。

戻れたのは翌日外来ギリギリの時間になったが、結果として行ってよかったと思う。病変は百円玉どころではなかった。CTを見せてもらって頭がくらくらしてしまった。約6センチの大きな出血だった。右利きの母の左頭頂葉から少し前頭葉にかかっているので、失語などいわゆるゲルストマン症候群と右の完全麻痺というとんでもない状態だった。
しかも少し中心ラインがシフトしており浮腫も進行。すぐにでも血腫除去が必要ではないかと思われたが、明日のCTを見て今後の治療を考えると決定されてしまっていた。まさか、午前4時に主治医を起こすわけにもいかないと不安な一日を過ごしたが、翌日午後、手術を無事終えた。外来はぎっしり詰まっているので、連日長距離の往復で疲労困憊しているが、これからどこまで回復してくれるか・・・。今は祈ることしかできない。

これまで元気な両親に甘えて全然考えていなかったが、介護という問題に直面してしまった。残念だが、自分の仕事の制限も考えなくていけないかもしれない。

■2006/03/18 (土) 実母のプライド。

親の援助と勤務先の保育所のおかげで子育ては、なんとか過ぎたが、介護をどうしていけばよいか。故郷とは遠く離れたこちらに呼ぶことは可能だろうか。頑固な義理父は故郷を離れることに応じてくれるだろうか。とても不安だ。父の頑固さにも皆手を焼いているが、実際洗濯もできず、家のどこに何があるかも分からず、おコメをたいたこともない人が自活するのは困難だ。面倒をみてもらうことに父は抵抗しているが、妥協して難局を乗り切らねばならない。もちろん、当面は母の介護やリハビリ応援(来週からリハスタートです)が第一だけど。

ただでさえいっぱいいっぱいの毎日だ。医療情勢もよくないし、いっそのこと医者をやめちゃおうかなと実母に半分冗談で話したら、泣き出されてしまった。せっかく医者になったのにやめるなどとんでもない、絶対許さないといわれてしまった。母にとっては子供を医者にしたことが一番のプライドなのだろうと思うが、母の涙はショックだった。

義理母がある程度まで回復してくれれば(意思の疎通が可能な程度に回復してくれれば)いいのだけど、高次機能の回復はどの脳外科医に聞いても悲観的なようだ。