結局は、また医者叩き?

■2006/10/03 (火)

昨日の日記では自戒をこめて、医療側も脇をしめる必要があると書いた。

私自身も、血小板輸血が容易ではなかった頃に、セパセルを回して血小板を回収し治療に使っていた。これも今の時代だったら、批判の嵐だったかもしれない。
当時、時間的余裕も肉体的余裕もなかったが、どのような血縁関係か口頭で聞いただけで、基本的な検査(肝機能や感染症など輸血に適応するかだけの検査)を手早くおこない、さっさと機械を回していたものだ。ほんの少し前のことなのに、あの頃は患者からの信頼を確信し誇りをもって治療していたのに。人の善意を疑うことなど考えもしなかった。自分の時間を犠牲にしても全然疑問に思わなかった。崇高な仕事をしているという満足感であふれていたものだ。

でも、この移植事件のマスコミ報道の風向きが、おかしな方向に行っていないだろうか?直接の契機となった人たちはさらりと流して、担当医を叩く、叩く・・・。

M3では担当医を知る人からの意見で、純粋に患者のために医療を行っている先生。自分のみなりも地位も全然構わない人。とあった。

いるんんだよね、そんな先生。なりふり構わず、学閥にも金銭にも欲のない、世間知らずのおばかさんな先生。(このおばかさんには「愛情と尊敬」がこもっています!)純粋すぎて誤解を招いているような印象だ。なんだか純朴なこの担当医の善意や熱意を、表面だけをなぞる報道がめちゃくちゃにしてしまいそうな恐れを感じてしまった。

昨日の私の日記でも担当医の脇の甘さを批判してしまったが(ちょっと言いすぎたかも)、こういう治療馬鹿(この馬鹿というのは軽蔑のバカでなく、敬意をこめた表現です)の先生を周りの人たちが、サポートしてあげられなかったのが残念に思う。叩かれ強い先生でありますように。