暖かさのない報道。

■2006/10/26 (木) 叩くこと、批判すること、悪役をさらすことが今のメディアのあり方なのだろうか。嫌なニュースばかりがもてはやされる。
奈良事件はしれば知るほど、中立性をなくし、細かな取材や勉強もせず、一方的な感情論を堂々と発表する姿勢に怒りが治まらない。(その後の詳細はM3や前の日記で書かせてもらった新小児科医先生のブログに詳しい。)
夫が医学的なことで取材を受けた記者は、とても真摯な態度でよく勉強していたと感心していたのだけど、地方紙と全国紙の記者のあり方が違うのだろうか?せめて社の嘱託医に相談すればいいのにとも思うが、そういった嘱託のご身分の先生はすでに臨床を離れており、実態がわからないのかもしれない。

今日のメディアの生贄は高校であった。履修科目の不足・虚偽が全国的な規模に広まっており、各校長が批判の波にさらされていた。こういった虚偽をとり始めたのが、ゆとり教育の開始からだという。ゆとりは学力は低下し、高校現場で混乱をきたし、結果として大失敗。それが今でも尾を引いている。虚偽を行った現場の責任はもちろんだが、やはりゆとりを推進した当時の責任者が一番罪が重いはずだ。(先日その役人の動向が小さく報じられていたが、結局何のおとがめもないようだった)メディアは何故履修虚偽を行った、もっと深い部分に掘り下げて報じるべきだと思う。このままではいくつかの高校がスケープゴートになり終息になりかねない。

もともとは内部告発から始まったようだ。きっと薄薄感じていたはずだが、今のこの大切な時期にヒートアップする必要はあっただろうか?報道に暖かさがあれば、せめて受験が終わる頃に報じてもよかったのではないだろうか?報道するに適した時期を見定める力が欠けているとしかいいようがない。何でも話題になれば、とか、他社に出し抜かれたくない・右倣えの報道姿勢に大きな疑問を感じている。