冤罪って実は多いのかもしれない。

■2007/02/23 (金)
昨日の夜の報道番組ZEROでも特集されていたが、下のような判決がでた。
↓↓↓
2003年4月の鹿児島県議選で、買収会合を開き現金を運動員に配って票の取りまとめを依頼したとして、公選法違反罪に問われた元県議被告(61)と妻被告(58)、運動員ら計12被告が元県議ら12被告、全員無罪=金銭供与も疑問−03年の選挙買収事件・鹿児島地裁

どの報道も鵜呑みにできないと自重しつつも、やはりこれはとんでもない捏造のように思う。このように事件が作られていき、拘留されて自白を強要され、罪人になってしまう、検挙されてしまえば99%有罪となる、有罪にできなければ検察・警察の面子の失墜なので、是が非でも立証するという悪しきシステムの硬直化が問題だ。被告の証言に自白強要方法として、足を縛って、子供や孫が書いた手紙の上に、無理やり足を踏みつけさせるというものがあった。こんな現代の踏み絵など想像できない。だから心身両面を傷つける捜査方法は実際にあったことなのだろう。福島の大野病院の事件を見ても、ほとんどの医師が疑問に思っている事例をいまでも争う姿勢をみせたり、関連警察を表彰したりするなど、検察・警察の上層部は謙虚に自省することを忘れてしまっているようだ。権力を持つ人たちであるだけに、とても、とても怖い。

この選挙での(推定)冤罪も、報道されなかったら、知ることはなかった。検挙有罪率は外国では60〜70%とも聞いた。人のすることだから間違いもあるはずだ。日本のそれが99%という談合のような高率であることは、ひそかに、でもいろんな所で冤罪は発生していることを強く危惧させる。

追記
トップの立場で、強大な権力を持つ人物が、おかしな思想を持っていたり、根性が捩れていたりするのは、本当に怖いことだ。良心と常識のある下々のものがじたばたしても、過ちはなかなか正せない。鹿児島の選挙違反でっちあげ事件でしみじみと感じた。
司法だけではない、医学の分野も例外ではない。たとえば紫色の顔の友達を助けたい先生(http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/)だって、大野病院のK先生だって、病院(あるいは大学の)トップのとった行動のために、今も苦しまれているのだ。苦しみの中で失われた貴重な時間と、する必要もなかった多大なご苦労を思うと悔しいやら悲しいやら腹立たしいやら・・・