人間言葉をしゃべる鳥。

■2007/04/18 (水) このところ年賀状で気づくのは、新しい家族が増えましたという言葉。といっても子供ができたのではない。子育てが一段落し、ペットを飼い始める人が増えているのだ。特に忠実な犬を飼う人が本当に多いようだ。
我が家はずっとセキセイインコを飼っている。初代インコが亡くなったときは涙が枯れるほど、皆で泣きとおしたものだ。今で忘れることはない大切な存在だ。寂しさに耐えられず、二代目を飼い始めてもう一年。はじめは初代と比較して、初代○ちゃんは可愛かったのに、二代目はやんちゃだなど二代目を悪く思うことが多かった。
でも二代目は初代より、大胆で頭が良いようだ。初代を超える知恵があるのが悔しいのはどういう心境なのか、自分でも理解できないが・・。
初代は最後まで人の言葉をしゃべれなかったのだが、二代目はよくしゃべる。自分の名前をしゃべっているのに気づいて、面白がっておしえた「おはよ〜」「ワンワン」もクリア。オウムや九官鳥は短い言葉をしゃべるが、セキセイインコは文章をしゃべる性質があるらしい。
テレビでは、自分の住所を言えたり、桃太郎のお話をするインコも登場していた。我が家のインコもこのほど住所を言えるようになった。○○市・・・・(番地まで)の○○(苗字)の○(ペットの名前)ちゃんと言うのである。
ペットには癒されます。

つきつめれば、誇りがもてなくなってきたのだと思う。

■2007/04/16 (月)入退院や患者の検査治療は、おおまかなアウトラインはガイドラインなどに沿うものだろうが、実際には医者の腹次第に負うところが大きい。今月はCTを増やそう、○日までにあと○人の入院が必要などの指令が飛べば、常識的な範囲である程度まで、希望に沿うようにもっていくことができる。こんな脅迫めいたことを書くのも、あまりに医者を悪者にする見方が目につくから、それならば力を持っていることをみせてやろうじゃないかと思ってしまうのだ。

医者の士気を上げる一番の特効薬は、お金ではないし、休暇でもない。患者さんからの感謝の言葉やいたわりの言葉、周りのスタッフからの励ましなのだ。院長やレントゲン技師長から、もう少しここを上げてくれないか?と請われると頑張ってみようと思うものだ。そして一言、先生頑張っているねと言ってくれるだけで、単純な医師頭は喜んでしまうのだ。さらには世間からの評価がいただければ、自分の限界を超えてでも頑張るエネルギーが得られる。

最低の給与と休暇で、水準の高い医療を支えてきた、医者の心の中の、形にできないような誇り、プライドがズタズタにされたことが、一番の医療崩壊の原因なのだと改めて思う。給料が安い、休みがないというのは二次的な問題であるのに、メディアはここだけを強調するので、一層士気が低下する。厚生労働省も一般臨床に携わる医者のハートを分かっていないから、見当違いの政策ばかりを出してくる。

勤務医不足の真の原因は?

■2007/04/13 (金)
M3での「 ベテラン勤務医 」さんのコメントより。医師不足といわれ、医療崩壊を招いた原因が、適切かつ簡潔にまとめられています。心から同意したので、転載させてもらいます。(当直明けでくたびれ果てたので、自分の意見は略します。今日はこれ以上の余力がないので・・・)著作権に触れるかもしれないので期間限定です。なるべく多くの人の目に触れますように!

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勤務医不足、医療崩壊が叫ばれ、勤務医の過酷な労働環境が浮き彫りにされていますが、このこと自体は今に始まったことではありません。私が若かった頃、病院に泊まり込むこ とはむしろ日常的でありました。 今、勤務医不足が深刻となることにはほかの要因が大きいと考えます。

1)医療がサービス業と定義され、患者と一般社会は当たり前のように過大なサービスが要求されるようになりました。その中で医療行為は尊厳を失い、医師の誇りが奪われ、医療 者の自己犠牲の意味は消失しました。

2)国家経済が停滞する中で、医療に競争原理が持ち込まれた結果、病院経営は厳しくなり、成果主義、評価制度、50歳での昇給停止などが導入されました。これでは中年以降の 医師は安心して勤務できません。

3)大学病院の独法化、労災病院・厚生年金病院・社会保険病院の組織再編成など、病院は研究・教育・診療よりも経営を優先することを強いられています。公的病院への補助金も ここ数年は著しく減少し、病院機能の低下は必至です。

4)マスコミは医療を激しく攻撃し、司法は不合理な正義を振りかざして、結果責任を病院に押し付けてきます。警察は医療の本質も理解せず、刑事責任を問い、医師を気楽に逮捕 します。普通の感覚を持った人間はいやになってしまいます。

5)新研修医制度はもともと都会の大病院に医師を集中させるシステムです。2年間で高度な知識・技術を習得し、人格の涵養を図ることを義務付けられれば、誰でも症例と指導者 の豊富な大病院を目指します。病院は勝ち組と負け組みに分かれることになります。この制度を策定・推進した担当者は既に現場を離れ、誰も責任を取ろうとはしません。

6)厚労省は、物の本質を知ってか知らずか、診療報酬制度をいじることだけで医療現場を経済的に誘導しようとするのみです。うまくいかなければ、また次の小手先の策を弄しま す。どこまで行っても、ことは解決しません。

良質な医療を求めるのであれば、それに見合った資金を投入すべきです。公的資金であれ自費であれ、金はかけたくないとするなら、それなりのサービスで我慢するべきです。

医療者も無駄を無くすことには真剣に取り組まねばなりませんが、それにも限度があります。医療費抑制政策の中でことを改善しようとすることはもはや無理と考えるべきです。

いまや、「誰が悪いのだ。」などといっている場合ではなく、国全体で議論されることが期待されます。やはり政治の問題でありましょう。

可能だからといって許されない治療もある。

■2007/04/12 (木) 医学の進歩でさまざまな治療が可能になってきた。特に移植と不妊治療の進歩がめざましい。移植についても容認できるかどうか、受け止め方により、そのボーダーラインが異なっているのは、最近の病気腎移植の物議で明らかになった。

そして、不妊治療の面でも、代理母出産で子供を得た某芸能人の訴訟があり、不妊治療のパイオニアでもあるN先生が、凍結保存精子を利用した、死後の受精卵移植の成功を公表され、さらにボランティアの代理母を募集したいとメディアに述べられた。子供を持てない苦しみは理解できるし、可能な範囲で医学は福音になるべきだと思っている。しかし、可能だからといって、患者に提供する治療の境界線は、目の前の困っている患者を助けたいという一念に左右されてはいけないと思う。倫理の問題やその患者以外の社会にあたえる影響を考えれば、一家族と一医者だけで、可能だからといって行う治療を拡大していっていいのだろうか。その結果おこりうる全ての事象に対しての、全責任をもてるのだろうか。治療の限界は単に技術的なことだけで決められるものではないと思う。
N医師のされてきた仕事は多くの女性に幸せを与えてきたが、それでも最近のN先生の仕事は医者の範疇を超える域に踏み込まれてしまっているように思う。
N先生といい、宇和島の先生といい、良識も学識も高い方たちが、あまりに患者の側に立ちすぎて、冷静で公平な観点をなくされてしまっているように思えてならない。一部マスコミは患者の側に立つ医者をヒーローと持ち上げるかもしれない。腰の重い学会や多数の医師の見解を患者第一でないと非難するかもしれない。
でも、私は思う。患者サイドの心情に入り込み過ぎて、医者個人の冷静さが失われれば、結局はその弊害が患者さんに戻ってくるのだと。常に平常心と客観性を失わないこと、もしそのような態度を取れなくなってしまったら、自分はもはやその患者の治療から撤退して、他の信頼できる医者の手に委ねるようにする。これが私のポリシーだ。

私は偽医者だった?

■2007/04/09(月)
http://licenseif.mhlw.go.jp/search/
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個人情報保護に違反するだろう。個人的に導入には反対だった。が、反論の声をどこで表せばよいか解らぬまま、システムはひっそりと、でも既に始まっていた。物故者も入っているなど、正確性には疑問の声がもう上がっている。

私は現在の名前では登録されていなかった。すなわちこの制度のもとでは私は偽医者であることが判明した。婚姻で姓が変わったときに医籍登録番号も申請して新しくなっているのに。相変わらず同じ省でも横の連動がないなんて情けない。このような融通のない方たちがつくる医療制度が、実情に沿っていないのも尤もかもしれない。ちなみに旧姓では検索可能。本当に信頼性のないシステムである。

お役人たちも、こんなことより先にせねばならぬ仕事が山ほどあるだろうに。ああ情けない。

セナの再来かも。

natsuki8212007-04-08

■2007/04/08 (日) F1第二戦、マレーシアGPがあった。セナが去った後、私のテレビ観戦は静かなものだったが、今回は久しぶりにスタートから何度も絶叫してしまった。ご贔屓のアロンソは巧みなダッシュで首位を奪い、危なげなくチェッカーを受けた。お見事、さすが若き王者だった。
しかし、絶叫したのはアロンソの同僚、マクラーレンの秘蔵っ子とされるルーキーのハミルトン君に対してであった。何しろ、フェラーリの新鋭たちを尻目に抜かれても抜き返すという、大技を何度も見せてくれ、ついにマッサ(彼は昨年優勝も経験しているフェラーリドライバーだ)は自滅してしまった。ライコネンは冷静に追撃を試みたが、最後まで抜くことはできなかった。クルマはフェラーリ>>マクラーレンだったような印象だったのに。
解説者は何度も言っていた。彼には天性のたぐいまれなカンがある、このようなカンはセナを思わせるようだと。
待ち望んだセナの再来は彼のことかもしれない。セナファン(=自分のことです)
は胸を熱くして見てしまいそうになっている。イギリス国籍であるが両親はトリニダードトバコ出身、有色人種であるというのもヒーローの条件にあうではないか。(アロンソファンを簡単に翻すのかと葛藤中)ウイキは早い。もうハミルトン君の検索ページができていた。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3

ところで、蛙の子は蛙は、F1の世界でも多い。今年は中嶋選手のご子息がF1テストドライバーとして登場した。また不死鳥と呼ばれたケケ・ロズベルグのご子息もF1ドライバーに仲間入り。彼がまたかっこいいんですよ〜〜。そうそう、ウイキのハミルトン君のページには、ネルソンピケのご子息も登場していた。

64歳の新人医師。

■2007/04/07 (土)
ひと月ほど前のことになるが、NHKアーカイブスで64歳の新人医師という番組が放映された。NHK偏向報道傾向が好きではないが、たまにこのような珠玉の番組を出してくるので、受信料を払う気にさせてくれる。

葛城四郎さんが主人公。戦後の貧しい時代であったため、医者の道をあきらめ大阪大学を卒業し教職に就いたが(ここまででも十分素晴らしいが)、夢あきらめられず、京都大学に50歳過ぎで合格、8回めの国家試験(この頃は年に2度の試験があった)で64歳で医師になった。産婦人科医局に入り市中病院での研修生活まで紹介されていた。

高齢で医師になることについては、その方の凄さは別にして、はたして是か非かは難しいところだ。最近も某国立大学を相手取って50代の主婦の方が大学を訴えた。彼女と葛城さんの違いはどこにあったのか。番組をみたときから考えていたが、今日元新聞記者の浜田秀夫さんのコラムを読んで納得できたものがある。葛城さんは当時の京大学長に受験前にお手紙を出して受けてよいか確認をとっていらしたのだという。こういった心がけが裁判まで起こす方と違うのだはないかという印象を持ってしまう。

裁判をおこしている方はそれだけの情熱や知力をお持ちなら、他の大学を(今度は事前に年齢制限の有無を確認して)受験する方にエネルギーを向けられたら良いのにと、老婆心ながら思う。たとえ裁判に勝ったとしてもただでさえ少ない貴重な時間は過ぎていくのだから。

その葛城さんは、産婦人科から船医などを経て80歳すぎまで医師として活躍されたそうだ。残念ながらもう故人となられているが・・。番組でみた葛城さんは非常に若く映っていた。社交ダンスの名手の方なので、姿勢もよく体力や柔軟性も平均以上におありだったのだろう。本も出されているそうだ。早速図書館にネットから予約をした。いった医師としてどのような経歴を取られたのか、私も老いに向かう医者として学びたい。

NHKのこの番組のページ↓↓↓
http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-archives/past/2006/h070311.html#02